ジョン・レノンという人は作曲という点において、生涯スランプのなかった人なんじゃないだろうか、と常々思う。
一見ポール・マッカートニーの方が安定した作曲家のイメージがあるけど、誤解を恐れずに言うのならば、僕はジョンに軍配をあげたい。(好みもあるだろうけど^^;)
ビートルズのファーストアルバム “Please Please Me” から考えてみても、ポールと比べて曲提供の安定感はただモノではない。
ビートルズ旋風真っただ中、ツアー三昧で曲作りどころではなかったであろう1964年にも2枚のアルバムをリリースしているよね。
“A Hard Day’s Night”、”Beatles For Sale” だ。
ハードデイズでのジョンの唯我独尊ぶりは言うまでもなく、フォーセールではポールもさすがに疲れているようで、純粋にポール主導で作曲したと思われる曲は、ストックから引っ張り出してきた “I’ll Follow the Sun” と “What You’re Doing” のみ、というていたらくである(ごめんね、ポール!)
コンサート用のジョンと作曲用のジョンの2人いたんじゃないかと疑ってしまうくらいのパワーだ。
これも私見まみれだけど、ポールが主導だったとされるアルバム、サージェントペパーにおいても、曲数は少ないがジョンが提供した楽曲の方がクオリティが高いと思う。
このアルバムのポールの曲は僕はあまり好きではない、前作リボルバーの曲やペニーレインの勢いはどこへいってしまったんだ!とさえ思う。
この時期ジョンはLSDでヘロヘロだったにもかかわらず、である。
つまり、ジョン・レノンはどんな状態だろうといい曲を作り続けられる天才だという、みんな誰もが知っている事実を改めて言い直しただけである(笑)
心の壁、愛の橋
ジョンはソロキャリアにおいてもスランプというのは見当たらない。
主夫に専念した時期は、やらなかっただけなのだ。
アルバム “Walls and Bridges” (心の壁、愛の橋)は制作当時別居中だったオノ・ヨーコや政治的思想の影響から外れ、純粋にジョンが音楽と向き合って作ったという点で、僕にとってはとても楽しんで聴けるアルバムなんだ。
今日はこのアルバムの実質ラストを飾る楽曲、 “Nobody Loves You (When You’re Down and Out)” を関西弁に訳してみよう。
翻訳のポイント
I’ll scratch your back and you scratch mine
これは直訳すると、「人の背中を掻いてあげると自分も掻いてもらえる」
ちょうど「魚心あれば水心」ということわざを逆に言い換えたような言葉だけど、意味的には同じような言い回しだね。
でも2番では
I’ll scratch your back and you knife mine
という「背中を掻いてあげたのに、ナイフで刺される」
という悲しい節に変わってしまっているね・・・
最後の「死んで初めてみんな愛してくれる」というフレーズで曲は終わる。
ジョンの苦悩の集大成ともいえるこの曲、ジョンが数年後にこの世を去るということを考えると、なんともやりきれない、胸が苦しくなるのである。
原文の歌詞はコチラ
Nobody Loves You (When You’re Down and Out)
落ち目の時は誰も愛してくれへんし
最高潮の時は誰もあんたなんか見てないんや
みんな目の前の小金のことで必死こいとる
「魚心あれば水心あり」やろ
俺は向こう側へ渡ってしもたけど
すべて包み隠さず見せてきたし、なんも隠すもんなんかあらへん
それでもみんな俺に言い続ける「私のこと愛してる?」ってな
なんやねん、それ
俺が言えることは、すべてショービズってことや
もっかい言うで、すべてショービズってこっちゃ
落ち目の時は誰も愛してくれへんし
最高潮の時は誰もあんたなんか知らへん
みんな目の前の小金のことで精いっぱいや
背中掻いてやったのに、裏切られたわ
何度も海を渡ってきた
片目の呪術師が盲人を先導してるのも見たわ
それでもみんな俺に言い続ける「私のこと愛してる?」ってな
何言うてんねん
いつも俺が間違いを指摘すると、しれっと逃げてまうやろ
いつもそうなんや、みんな都合が悪くなると何も言わずに消えてまうんや
朝起きて鏡を見たら・・・ああ、もう!
部屋を真っ暗にして寝そべっても、眠れない・・・ああ、くそ!
歳を取って白髪になっても誰も愛してくれへんし
混乱してしっちゃかめっちゃかの時は、誰も必要としてくれへん
自分の誕生日は大声でアピるんやけどな
でも安心して、墓の下で眠りについた時には、みんな愛してくれるさかいな
「この曲を関西弁で訳して欲しい」っていうリクエストや、訳に対する指摘、クレーム、文句も大歓迎です^^